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【院長ブログ】『令和5年7月、あなご飯、産婦人科開成会、そして只見』

【あなご飯】
昨年の秋、《市ヶ谷アルカディア会館》にて開催された、
開成昭和37年卒2組のクラス会"緑士会"に、
同33年卒母校の漢文の橋本 弘正先生をお呼びしました。
先生から私の名を尋ねられました。
父 五郎の叔父が歌人の《太田 水穂》であり、妻みつの間に子がなく、父と叔父《靑丘》をみてくれ、父は医師となり叔父は《潮音社》を継ぎました。
私の名は水穂がつけてくれたようです。
女性の名と思われがちですが、ペンネームとして私は気に入っています。
著書『登り道-鳥甲山から産婦人科へ』を先生にお送りしました。
平井 寛君から『良かった』という先生の感想を聞かせてもらい一緒に食事をしようと誘われました。
令和5年7月7日(金)
午後5:30 松戸駅改札口集合。すでに2人は来ていました。
駅からほど近くの先生の行きつけの店《あなご飯 関宿屋》に入りました。
主人が開成の卒業でしたが、最近亡くなり奥さんがいました。
《松戸開成会》の話を聞かせてもらいました。
酒にあう焼き鳥などいただき最後にあなご飯。
あなご飯はあっさりしていて美味でした。

店を出るともう一軒のそば店は終了していて、
別の店に入り酒と冷奴をいただきましたが、すでにお腹が一杯でした。
40年近く前、当院開業した直後、このそば店に乳業会社の人が連れて行ってくれた記憶があります。
開成の卒業者ということは記憶していますが、そば店だったことは覚えていませんでした。
先生は『山の文章はいい、文学的です。』と言ってくれました。

【産婦人科開成会】
新型コロナウィルス感染症により延期されていた《産婦人科開成会》が開催されるという連絡がありました。
4年振りです。
令和5年7月15日(土)
18:30~3時間、千代田区平河町、海運ビル303室。
受付に担当(昭和59年卒)東大、愛育病院 山下 隆博先生がいて、私に乾杯の挨拶をと言われ驚きました。
会長(昭和36年卒)総合母子健康センター長、愛育病院 中林 正雄先生が一番上であり、私が次の学年なので仕方ないと思いました。
出席者は(平成21年卒)佐古 悠輔先生まで14名でした。

若い学年から順に1人ずつ話し出しました。
どうも出身校を背負った学会を意識した発言になってしまいがちです。
(昭和44年卒)東京医科歯科大学教授をされた久保田 俊郎先生が『この会を継続されるように若い先生方の出席を望みます。』という発言はもっともだと思いました。

『お兄さんはどうしていますか、南 邦弘先生は元気ですか。』と声をかけられました。
(昭和51年卒)秋葉 和敬先生から、子宮脱手術のメッシュ法がアメリカではやってはいけない手術になったと知らせてもらいました。
同法は私は理解できませんでした。
恩師《辻 啓先生の術式》が支持されたことになるのでしょうか。
南先生も『いい手術法だ、今も執刀している。』と話してくれています。
数年前、慈恵の担当として私が開いた軽井沢のこの会は良かったと、何人からかに言われました。
アコーディオンの《清水 信治さん》が亡くなってしまいましたが、あの音が良かったのかと考えています

私は"医科、医学、医業..."と表現できるうち、新規開業38年"医業"をやってきたと話しました

《海運クラブ》は立派な会場でした。
料理はパレスホテルの伝統料理ということでした。
次回は筑波大の担当になるということでした。

【只見】
令和5年7月17日(月・海の日)晴
10:04 リバティ春日部発、12:21 会津田島 着。
久しぶりに《只見》に行ってみようと思いました。
①お平②ごはんとみそ汁③トマトの生ジュースが目当てです。
早目に医院を出て春日部駅の跨線橋の下のベンチに座っていると東武、東急の電車がひっきりなしに到着し出発していきます。
特急リバティの本日分の座席は売り切れですと知らせています。
昨日の夕方、川間駅において手に入れておいて良かった。
そうでなければ本日は行けなくなる所でした。
少し前、快速のあった時代、ボックスシートに座り席の心配などした覚えがありません。
東武も有料の席にしてしまいました。
これからは少なくとも前日に券を手配しておかないといけないと思いました。
春日部を出るとすぐ下今市に着く感じです。
新藤原から野岩鉄道となり、多くのトンネルを通過すると会津高原尾瀬口に着きます。
ここから約20分して終着駅、会津田島に到着します。
この間の小刻みなリズミカルな音とピッチングというのでしょうか、前後にわずかに揺れる感覚は、眠気を誘われると同時にどこか楽しい気分にさせられます。
これはレールの重量と関係するとテレビにより知った記憶があります。
確かに各駅停車でも感じますが止まらないため、一層はっきりします。

田島にて《湯ら里》の車を見つけました。
運転手は新しい人でした。
顔見知りの前任者は退職したといいます。
少なくとも10回は乗せてもらった気がします。
今日は客は私1人。
いつもほとんど1人のことが多く、たまに複数人のことがありました。

宿には午後2時に着きました。
《ゆきんこ》にて、生ビールとそばを食しました。
《むら湯》には2人いて、湯は熱く、一度浸かってすぐ出て《湯ら里》の透明な湯に入り直しました。

親しくしていた57歳の支配人は最近その職を降り営業職に変り、年下の人が支配人になったといいます。
正社員の内定をもらうのが大変だとテレビが伝えていますが、こんな山奥い只見にまで九州に多い姓の新入社員がフロントにいることには驚くしかありません。
前支配人は新型コロナウィルス感染症の大変な時期に過ごしたのでしょう。
奥さんがレストランにいて夕食の《お平》は2杯にしてもらうようにお願いしました。

こんな我儘を言えるのはこれが最後かもしれません。
料理長は最近変ったといいます。
"岩魚の塩焼き"が"揚物黒コショウ辛ダレ"になりました。
ひどく辛く思わず酒を追加するくらいでした。
不味くはありませんがびっくりしました。
期待していた"ごはん"は"まぜごはん"になっていて、"みそ汁"は"豚汁"でした。
何も加えずそのままの味の方がいいのにと思います。
翌日の朝食にはトマトの生ジュースがありました。
まだ若いのでしょう、味がもう一つでした。
コップ4杯ほどいただきました。
あとひと月もすれば美味しくなるはずです。

《お平》はやさしい味がします。
只見を含む伊南川沿いの集落の正月料理と聞きます。
会津では酒と汁物を食し、固形物は持ち帰ると聞いたことがあります。
《こづゆ》は喜多方のものだとか。
衰弱しきって食物が全く喉を通らないとき、この《お平》を飲めば生きていける、そんな気がします。
雪深い会津の中で生み出された食物だと思います。

令和5年7月18日(火)晴
10:50 リバティ会津田島発 13:41 春日部着。
流山湯ら里、午前9:30 発。
田島の町を歩き《和泉屋魚店》に寄りましたが、
少し前NHKの番組に《会津田島祇園祭》が放映され、主人が世話役として出演していました。
以前に鰊山椒漬けを分けてもらった際、熊の油ももらいました。
冬のあかぎれには良く効きます。
それが無くなり、ふたたび分けてもらいました。

宿泊費が5,000円上がり20,000円を超えました。
交通費は12,000円ほど、大宮-軽井沢の新幹線自由席が9,000円ほど。
余り変りませんが時間は3倍要します。

すると閑散期の軽井沢の方が良いかと考えてしまいます。
軽井沢には午後3時に医院を発てば、午後5時にはホテルに着けるのですから。

 

【参考サイト】

市ヶ谷アルカディア会館

歌人《太田 水穂》

叔父《靑丘》

潮音社

著書『登り道-鳥甲山から産婦人科へ』

あなご飯 関宿屋

産婦人科開成会

辻 啓先生の術式

アコーディオン奏者 清水 信治さん

海運クラブ

只見

湯ら里

むら湯

ゆきんこ(湯ら里)

お平

こづゆ

和泉屋魚店

会津田島 祇園祭

 

令和5年 7月31日(月)記
川間太田産婦人科医院
院長 太田 八千穂

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