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【院長ブログ】『令和4年4月、撮影の準備と手術用鉗子が折れたこと』

令和4年4月10日(日)晴。
午前の診療を了え、近くのスーパーマーケットへ散歩。
そして軽井沢を舞台とした再放送のテレビドラマを見ていました。

午後2:30、打合せ通り映画の撮影の下見に監督はじめ10名程が来ました。
外来、手術・分娩室を見たあと外来に設置してある清涼飲料水の自動販売機のまわりに集まり、彼らは熱心に打合せしていました。
看護師が休憩時に缶コーヒーを飲むシーンがあるといいます。

20年程前、当院において水もれ防止の屋上の工事と建物の壁を洗うために周囲に金属パイプを取り付ける本格的な工事がありました。
その後この販売機を導入しました。
新型コロナウィルス感染症の出現から3回目の春を迎えましたが、すっかり受診者が少なくなりました。
その前に野田の准看護高等専修学校が閉鎖され学生がいなくなり入院者を受け入れることが出来なくなりました。
それにしてもこの少なさはひど過ぎます。
業者がその機械を今月中に引き上げると言ってきましたがもっともなことです。
そして令和4年4月15日(金)晴。持ち去りました。
もっと大がかりになるかと思ったのですが、いとも簡単に終りました。

あの時の様子から当院にて撮影するなと感じました。
そしてその通りになりました。
すでに販売機がなくなったもののリースにて持ち込むといいます。
さらにその数日後、医学監修の医師から言われたと、いつもの顔見知りの担当者が来ました。
長い時間たっても手術室から下りてこないので覗きに行くと、すでに用意された布に覆われた手術セットを開け手術器具を1,1確認し、写真まで撮っていました。
これまでしなくともいいのにと思うのですが、撮影隊の熱の入れようが伝ってきました。

これを見て想い出すことがありました。
恩師《辻 啓先生》が亡くなる前日に相当難しい手術を執刀していたと聞きます。
翌朝起きてこない。亡くなっていました。
当院を開院してそれほど時間が経っていない頃です。

しばらくしてよく出来る婦長2人が訪ねてきました。
先生が使っていた《鉗子》を持参し置いていってくれました。
いわば先生の形見です。

午後2時、3時、4時執刀の手術に際し、病人の入れ変え時間を少なくすることが必要です。
その息の合った行動が記憶に残っています。
それは私の開業時にも大いに役立ちました。
5年間世話になりました。

本邦における婦人科用手術《鉗子》として最も信頼される社の新製品が先生に持ち込まれました。
鋸歯型鉗子と先生が命名しました。

もちろん当院にも同じものを用意しました。
先生の開業から30年くらいですか正確な時間は判りません。
当院のものと印をつけていないので区別がつきません。
手術中その鉗子が中央から折れてしまったのです。

先生の《膣式3回結紮子宮全摘術》に際し、
1回目の狭鉗、切断、結紮は子宮下部周囲の複数の靭帯を一度に狭鉗します。
曲鉗子を使い下から上へさらに少し方向を曲げておよそ1cmほどの組織を狭鉗するのです。
膣式手術は握力を要します。あるいはこの操作が一番握力を要するかもしれません。
2回目の狭鉗、切断、結紮は直鉗子を、3回目は曲鉗子を使用しますが、ただ組織を狭鉗するだけなので鉗子への負担はかかりません。
従って1回目の狭鉗により金属疲労を来たされたと考えます。
半永久的と思える金属製の鉗子が折れるとは考えにくい。
使用頻度の高いものとして先生の使っていた曲鉗子だと想像します。

この経験を考えてみました。
手術の神様、あるいは恩師 辻 啓先生からかも知れません。
『自惚れるな、謙虚になれ』と教えていただいた気がします。

令和4年4月30日(土)晴。
午後リースの機械が届きました。
この5月の連休中に撮影されると聞きます。
医療機関も年々大きくなり撮影の許可も出にくいことが予想されます。
当院が一番使いやすいのかも知れません。

もう1つ、札幌の南 邦弘先生から電話がありました。
最近3例、子宮脱手術をしたが辻先生の術式が一番いい、経過も良いと。
彼は私と同じ年齢です。

 

【参考サイト】
恩師《辻 啓先生》

膣式3回結紮子宮全摘術

鉗子

南 邦弘先生

 

令和4年 4月30日(木)記
川間太田産婦人科医院
院長 太田 八千穂

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