産科・婦人病治療なら千葉県野田市の川間太田産婦人科医院へ。産科・婦人科・小児科・内科・麻酔科

お知らせのトップへ戻る

お知らせ

【院長ブログ】『令和3年5月、連休軽井沢にて過ごす、スマートフォンから』

~【連休軽井沢にて過ごす】~
当番医がなくなり、令和3年5月2日(日)から5日(水)まで軽井沢にて過ごせました。
令和3年5月2日(日)
午前の外来を済ませ、大宮に向いました。駅までの道、雷がなり小雨が降りました。
13:29 あさま大宮発、新幹線の窓から晴れた筑波山、赤城山、榛名山と見ているうちに、
14:16 軽井沢着、しなの鉄道に乗り中軽井沢へ。

徒歩すぐの《新宿スカラ座》へ。
ママがいました。ちょっと前、ゴルフ場のカートにより怪我をししばらく会えませんでした。
髪の毛を切ったといい、はじめ誰かと思うくらい判りませんでした。
コーヒー2杯の味はいつもの軽いものでした。
『《軽井沢新聞》がカラーになり掲載料を値上げし相当高くなったので止めました。3年続けましたが。
新型コロナウィルス感染と重なりかなり経営が大変だと聞きます。』と話してくれました。
1人若い女性客が来て、出ることにしました。
また小雨になり、すぐやみました。

午後5:00ごろ山荘に着きました。
子供と孫たちもゴルフをしてきたと、ほぼ同時に到着しました。
おなかがすいているのでしょう、すぐ食事になりました。
まず缶ビール。コンビニエンスストアで手に入れた食べ物が並んでました。
子供が色々話し、こちらは聞き役です。
私は3缶、彼は7缶ほど飲んでしまいました。
楽しい時間でした。
地元のスーパーマーケットにて買ってきたという生野菜、特にミニトマトが美味でした。

令和3年5月3日(祝日・月)
子供たちはまたゴルフと言い、早くに出かけていきました。
カミさんと二人、朝食のコーヒーとパンなどを食べました。

ゴミを指定の場所へ運べと言われ、5分ほどのところに持って行きました。
さらにもう少し奥まで散歩。
出たばかりの木の芽は緑色あるいは黄色、数日もすれば葉も大きくなり濃い緑色になるのでしょう。
生命力のある色彩でした。
浅間山が見えました。昨夜の寒さにより雪が降ったのでしょう山頂は白くなっていました。

昼食をどうするかと話していると先ほどのママが教えてくれたことを想い出しました。
『《玉川食堂》のそばがおいしい。』と。
《ハルニレテラス》内のそば店は入店するのに20名ほど行列を作っていました。
店はそこから5分ほどの中軽井沢寄りの国道に面した所にあります。
教えてもらわなければ見落としてしまいます。
午後1:00 ほぼ満席。
「そばはなくなりました。他の料理も時間がかかります。」と言われましたが、そのまま待ちました。
カミさんがエビフライ、メンチカツそれにコロッケを注文していました。
それぞれ半分ずつにし食べました。熱つ熱つの手作りの食事。
おいしくいただきました。
明日そばを食べに正午に来ると約束しました。

星野の《村民食堂》の入口にてコーヒーを飲みました。
《トンボの湯》につながるきれいな芝生に幼児たちが走りまわっています。
1人の女児の顔が外国人の血が入っているように見えました。
見ると父親が外国人、母親が日本人でした。
大人も子供も今はやりの服装なのでしょう。何と表現していいのか適当な言葉が浮かびませんでした。

令和3年5月4日(祝日・火)
子供たちは今日も1ラウンドして帰るといい、朝食を済ませ午前8:00に出かけていきました。

午前11:00までに帰りなさいと言われ、散歩に出かけました。
今日は《三井の森の鶴溜》まで行こうと考えました。
しばらく歩くと《三井の森》の別荘地と接する所に出て旧軽井沢方面と標示があり、そちらへ向かいました。
平坦な所とやや傾斜のある区画が続いています。
思い出したように車が通り過ぎていきました。また私と同じくらいの年齢の夫妻と思われる2組とすれ違いました。
1組は2人とも黒いサングラスをかけていました。昨日と同じ、夫が外国人、妻が日本人と思われました。
別荘に過ごしていて散歩に出かけてきたのでしょう。
《三井の森の鶴溜》には10軒に1軒くらい車が駐車していて来軽しているのでしょう。
その1軒から出てきた女性が『今日は暖いですねぇ。』と声をかけてくれました。

30年程前の事です。
《三井の森》の担当者から、ある会社の社長がせきれい橋を渡った4区画を家族のために買い、さらに《鶴溜》にも1区画求めたといいます。
下の区画は国道の音がわーんと上がってきてうるさい。《鶴溜》は全く静かだという感想を話してくれました。
ずっと前から《鶴溜》は水がないと聞いています。
そのためでしょうか、軽井沢の中でも開発が遅れています。

また何年か前、今日と同じ道をたどり帰ろうとして道を間違え、中軽井沢まで下りてしまったことがありました。
町立軽井沢病院の近くのペンションに寄り、コーヒーを飲み休ませてもらいました。

正午に《玉川食堂》に行き、天ぷらそばと鮎の塩焼きを注文しました。店はすいていました。

令和3年5月5日(祝日・水)
簡単な食事を済ませ、空ビール缶などを指定の場所に運びました。
箱を開けるとダンボール箱に空いたワインボトルが5-6本ありました。
この連休家族らが集まり飲食、談話した光景が浮かび、どこか暖かい気持ちにさせられました。

午前9:00に山荘を出ました。ごく少々雨が降りました。
《ハルニレテラス》の店の前の台に芹がありました。
今朝自家菜園から採ったばかりのものです。2袋買いました。
帰ってからおひたしにして食べたところ、かつて軽井沢バイパス塩沢交叉点近くの店にて食べたものと同じ味がしました。
軽井沢一番のおみやげです。

11:59 あさま軽井沢発、12:47 大宮着。
午後2:00前に帰院できました。

たまった新聞に目を通しました。
昼食をとっていないのに気付き、もちとお茶を飲食しました。
栃木県益子町にて買った黒い急須に日本茶を入れ飲んだところ、びっくりするくらいのいい味がしました。

【スマートフォンから】
山荘にはテレビは在りません。
スマートフォンの使い方も知りませんが、この連休、岐阜県の3名が槍ヶ岳山頂付近の小屋から近いところで遭難、発見されたことを知りました。
おそらく《新穂高からワサビ平、双六岳、さらに西鎌尾根》をたどり到着したのでしょう。
かなり長い道のりです。

かつて3月《長野県側上高地から横尾さらには槍沢》を経て同じ場所に着きました。
雪崩が怖いと夜間登行でした。午前0時ごろ到着しました。

別の5月《猿倉から白馬岳主稜》を登りました。
5月の山は天気が良ければ一番いい季節。
しかし一度荒れると全くの冬山と同じです。

このニュースを知り、昔のことを想い出しました。
そしてこの山行を最後に山へは行かなくなりました。

【手術】という新しい大きな山を登りはじめたのです。
そして半世紀が過ぎました。

《膣式手術》は意外と握力が必要です。
恩師 辻 啓先生の《三回結紮子宮全摘出術》をやってきました。
はじめ子宮筋腫でしたが、60歳過ぎる頃には子宮脱手術が中心になりました。
そして70歳を超えると受診者も少なくなり手術もなくなりました。
しかし、身についたこの経験は外来において行う手術にも役立っています。
あと10年くらいは出来そうです。

山において、以前は中波による放送を携帯ラジオにより音楽を聞きました。
今ではユーチューブ(Youtube)とかにより聞きます。
《イ・ビーバ・エスパーニャ/Y Viva España》と
《アルブレヒト大公行進曲/Erzherzog Albrecht Marsch》を聞いています。
前者は第2のスペイン国家というだけあって元気な華やかな楽曲ですが、急に暗い気持ちにさせられる箇所があります。
後者は映画《Uボート》により知りました。
ドイツ人あるいはオーストリア人の気質によるのでしょうか、勇ましさというよりどこか憂鬱な、あるいは哀愁に満ちた部分があります。
それらが良くて何回も何回も聞いています。

3日目の歩数は17,000歩、他の3日はそれぞれ10,000歩でした。

 

【参考サイト】
新宿スカラ座

軽井沢新聞

玉川食堂

ハルニレテラス

村民食堂

トンボの湯

三井の森

鶴溜(三井の森)

新穂高~ワサビ平~双六岳~西鎌尾根~槍ヶ岳

長野県側上高地~横尾~槍沢~槍ヶ岳

猿倉~白馬岳主稜

恩師 辻 啓先生

三回結紮子宮摘出術

イ・ビーバ・エスパーニャ/Y Viva España

アルブレヒト大公行進曲/Erzherzog Albrecht Marsch

映画 Uボート

 

令和3年5月31日(月)記
川間太田産婦人科医院
院長 太田 八千穂

お知らせのトップへ戻る

お知らせ

院長ブログ

ドクターズ・ファイル

採用情報


#

川間太田産婦人科医院

千葉県野田市岩名2-7-1
アクセスマップ
お問合せ "出産・妊娠検査・婦人病治療・人口中絶等
どのような事もまずはお問合せください。

#04-7127-1135