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~また只見へ一人旅~
■平成28年9月19日(月/祝)
午前9:43快速春日部発。会津田島にて車に乗り《季の郷 湯ら里》へ。
明るいうちに野天風呂、さらに《むら湯》につかる。
少々雨が気になる。ロビーにて居眠り。当館の前支配人、目黒 仁也さんと偶然出会う。
5年ぶりという。書道の師範をしていて、弟子の女性とともに夕食。ウィスキー山崎 ダブル3杯飲む。
~恩師 辻 啓 先生の問合わせあり~
■平成28年9月28日(水)
メールが入る。《辻 啓 先生》の問合わせ。
板橋にて開業している小児科専門医の女性から。
ある大学医学部を卒業し24年、49歳。3姉妹の母親。
結婚した年、妊娠したが、研修医の忙しい日々に流産したという。
海軍兵学校に辻 啓 先生より一期前に入学した父親が、先生を紹介してくれたという。
『今度はきっと元気な赤ちゃんに恵まれる』と1時間以上付き添ってくれたという。
その後、3人の子供が生まれたという。
『先生がいらっしゃらなかったら、あの言葉をいただかなかったら...。感謝の気持ちでいっぱいです。』
現在、辻医院を継承している先生には情報が全くなく、ネットにて当院を知ったという。
『先生の写真か映像があったら貰えないか』と言う内容。
およそ40年前、手術時、1枚撮影した記憶があるものの、判らない。
ホームページの写真は《安心》1997年4月号のものです。
そして、私なりに考えてみました。
『海兵への辻 啓 先生の想い入れは何か...』見当はつくものの、言葉には表現できない。
父親が海兵の1年上、ということが大きく関係していると思います。
或いは、それは『私の開成への気持ちに似ているのではないか...』と。
私の父の『よかったなぁ、八千穂。辻 啓 先生にめぐり会えて、開業できるなぁ』という発言と、開成高校の校歌にある『我が先人を思ふとき』という一節が想い出される。
問合わせの女性医も、父も夫も医師ということから、彼女の17歳の長女は、恐らく医学部志望であり、
私も自分の同年齢の頃のことを考えずにはいられない。
幸い3人の子供達は皆、医師になれたが、子供の受験については『振り返りたくもない』という気持ち。
それくらい苦労しました。
【参考サイト】
■季の郷 湯ら里
■むら湯
■辻 啓 先生
■健康雑誌『安心』
■開成高校の校歌
平成28年9月30日(金)記
川間太田産婦人科医院
院長 太田 八千穂
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