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【院長ブログ】『令和4年5月、連休軽井沢にて2日過ごし、翌日映画撮影が行われる』

【軽井沢にて2日過ごす】
令和4年5月2日(日)晴。
午後休診とし大宮へ向かう。
いつもの新幹線の列車に乗れず1時間ほど駅構内に過ごしました。
13:29 あさま大宮発、14:16 軽井沢着。
連休のせいでしょうコンコースには多くの人がいました。
しなの鉄道にて中軽井沢へ。
車内は新幹線とともに座れました。さほど混んではいませんでした。
湯川沿いの国道は下りの車が多く来ますが止まることはなく流れていました。

周りは新緑が目立ちます。
〈山が笑う〉という表現を聞いたことがあります。
数年前の同じ時期、福島会津高原尾瀬口駅からそば店まで国道沿いを歩いた周囲の山々と、ここ軽井沢の山とは異ります。
見える山には別荘があり、道には車が続き〈山が笑う〉ということが実感できません。
それだけ自然があるようで、そうでもない気がしました。

午後4時に山荘に到着。
孫たちに迎えられました。
彼らは父親と新幹線に乗って来たといいます。
入浴を済ませ夕食。
いつものスーパーマーケット《ツルヤ》の刺身と地元の野菜、それにビール。
炊き立てのごはんに生たらこ、おいしく何杯もおかわりしてしまいました。

午後8時、母親が仕事を了え車にて来ました。
ビールが効いたのでしょう、一言二言、言葉を交わしただけで早く眠ってしまいました。

令和4年5月3日(火・祝日)晴。
午前8時、コーヒーとパンの朝食。
孫たち一家はトリックアートとか言いながら出かけていきました。
別行動となりました。

"うなぎ"を食べようと午前11時30分、カミさんと山荘を出ました。
中軽井沢から軽井沢に向かう国道沿いに《弁慶》といううなぎ店がありました。
相当昔の話です。この後ずっと店は閉っていました。最近何かの店になっている様子です。

軽井沢駅の正面の通りから一本入った所に"うなぎ屋"を見つけましたが、他にあまり見当りません。
中軽井沢から《ツルヤ》への道の途中に"うなぎ"という表示を見つけました。
次に通ったとき車が止っていました。
さらに次の機会にはなくなっていた記憶があります。

気になりネットを見てみると確かに《弁慶》はありました。
上野が本店らしい。
《竹葉亭》もあったが、今は更地とありました。
いずれにしても軽井沢にはうなぎ店は少い気がします。

よく行く福島会津田島の街には、初めて行ったときから一軒あります。
こんな小さな田舎町なのに。
無いのが当たり前、有る方がおかしいのかと考えてしまうくらいです。

そして以前知った川魚料理うなぎ生そば《ゆうすげ》に行くことにしました。
国道を追分方面に向かい左側に《ゆうすげ温泉》近く国道に面して店はありました。
晴れていますが風が強くやや寒い感じです。
駐車場は塞っていましたが何とか止まることができました。
カミさんが車の鍵を車内に置き忘れて来てしまい開かないといいます。
順番が来るまで数十分待たされました。
店に入り私の携帯電話を使い、カミさんはやっと《JAF》に連絡がとれ来てくれました。岩村田からです。
うな重を注文。
食事が出てくるまでカミさんは連絡していました。
どこか慌てている様子です。
水槽があり、鮎、はや、鯉、虹鱒等泳いでいました。
メニューを見ると『川魚料理と自家農園にて採ったそばを出す』とあります。
10席ほどの客はうなぎは注文していない様子。
そば、川魚の丼など食べていました。
うなぎの味はさっぱりしていました。
"はや"が気になります。

かつて見たテレビに"ウグイ、アカハラ"という語を耳にしました。
『春(産卵期)になると、オスは婚姻色といわれる朱色(オレンジ色)のラインが体の表面に現れる』とネットにて知りました。
以前、知人から《焼あご》をもらったことがあります。
これもネットに依ります。『あごは九州北部から日本海側の地域で呼ばれる《トビウオ》の呼称。』
《焼あご》から出汁をとるようです。

これもまた、福島只見の温泉《湯ら里》のとなりの《むら湯》に、年末、"はや"の焼物が多くつるしてありました。
この出汁によりこの地の郷土料理《お平》を作るといいます。
福島原子力発電所事故により、今は"はや"は使えず、他の物により代用していると聞かされましたが、
この《お平》を私は気に入っていて、いつも2皿いただいています。
これも《焼あご》のことからすぐ理解することができました。

この店のすぐ近くに評判のいい《追分そば茶屋》があるのにそばを注文している客が多いのだから、次回そばと"はや"の料理唐揚げなども食してみたいものです。
カミさんは面白くないらしく、もう来たくないと言っていました。

店を出て中軽井沢《新宿スカラ座》によりました。
火曜日休みなのに連休は開けているといいます。
もともと席は少ないのですが満席なのを初めて見ました。
カウンター席に座りました。
ママから初老の夫婦を紹介されましたが詳しく話せませんでした。
何か新しい情報を得られそうです。

ここでカミさんと別れ駅に向かいました。
途中《ギャラリー桂》に行くと主人がいて、今から人に会うといい10分ほど立ち話。
そして駅長と話しました。

15:56 あさま軽井沢発、16:47 大宮着。
午後6時には帰院できました。

【映画撮影が行われる】
令和4年5月4日(水・祝日)晴。
大手映画会社が朝早く来ると言われていました。
午前6時40分、裏玄関の戸を開けました。
続々と車が到着しました。
ルーフ付トラック3台、大きめのワンボックスカー4台、乗用車5台ほどになりました。

1階の外来、2階の手術・分娩室にて撮影するといいます。
35歳の長身の男性が主演。
名の知られた音楽ユニットの一員ということですが私には初めて聞く名でした。

自室に1時間ほど新聞とテレビを見ていたのですが落ち着きません。
下に降りていって終日制作者たちと過ごしました。
私のすぐ近く、各自全く異なる仕事をしています。
昼食の時間にロケ弁当が出てきました。
それぞれの時間、場所において、皆食事を摂っていました。
この時が一番上下の関係など全くない和やかな雰囲気でした。

1人40歳ほどの姫路市出身という男性とよく話しました。
仲間からムードメーカー的存在と言われていましたが、話がおもしろいことと独身であることが判りました。

午後になり駐車場に行くと30歳前後と思えるいい顔立ちの男性がいて、つい私は声をかけていました。
『役者ですか』と尋ねると、『これから出演する若い女優のマネージャー』という返事でした。
彼女はある都立進学高校から早稲田大学を卒業していて、母親も女優ということでした。
名前を聞きましたが知らない名でした。
役者希望の人はこのように俳優の付き人になることから始まるのでしょうか。

夕食の弁当はすっかり暗くなってからになってしまいました。
駐車場の一角、車の前とか様々な場所に陣どり食事を摂っていました。
やや疲れているのか皆無言でした。

そして最後のシーンが裏玄関前、主演の男優と若い看護師のやりとりでした。
もう午前0時近くになっていました。
そしてすべての片付けが終ると、翌日5月5日(木・祝日)午前1時を過ぎていました。

その日のスケジュール表があり、『午前9時新宿集合』とありました。
ムードメーカーさんに『大変ですね』と声をかけると、『これから車を運転して帰りますが午前9時はありがたい』と言っていました。
好きでなければとてもできない仕事だとつくづく感じました。
午後の女優はいつ帰ったのか知りませんが早く帰ったのでしょう。
俳優という職業も極めて大変な重労働だと思えました。

【もう1つ別件の撮影】
令和4年5月29日(日)
午前10時という約束がやや遅れて、午前11時を過ぎると駐車場は車で一杯になりました。
今日は7月末から始まる予定の大手テレビ会社のドラマの撮影です。

この5日ほど前に40歳くらいの女性が急に下見に来て、次の日くらいに監督が来て、すぐ撮影が決りました。
はじめの女性は2年前に別の撮影の下見に来たと言っていました。
どうやら当院は撮影関係者に知られているように感じました。
午後3時には撮影は終了し次の場所に移っていきました。

 

【参考サイト】
スーパーマーケット《ツルヤ》

うなぎ 弁慶 (回顧)

うなぎ 竹葉亭

川魚料理うなぎ生そば《ゆうすげ》

ゆうすげ温泉

JAF(日本自動車連盟)

あご、焼あご

温泉《湯ら里》

温泉《むら湯》

郷土料理《お平》

追分そば茶屋

中軽井沢《新宿スカラ座》

ギャラリー桂

 

令和4年 5月31日(火)記
川間太田産婦人科医院
院長 太田 八千穂

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