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【院長ブログ】『令和3年8月 、久しぶりの只見と映画撮影再び』

『軽井沢は北麻布』という表現を耳にしました。確かに若いIT屋さん達が注目するのは理解できます。
しかし少々的外れではないかと考えます。
30年ほど前に『軽井沢は東京24区』と聞いたことがありますが、今年このことが新聞に載り読みました。
これはやや遅れ過ぎた情報だと思います。
北麻布は突飛すぎます。

それなら『軽井沢の正反対の地はどこか?』と考えてしまいます。
私のよく行くところは、軽井沢、会津高原高杖原、そして只見です。
高杖原は該当しません。
すると【只見】ではないかと考えます。

50年以上前、学生時代。
新潟《守門岳》を往復し、大白川から浅草岳を越えて福島只見に入りさらに《会津朝日岳》の偵察とかいい、その麓に幕営しました。
《吉田茂首相》が亡くなったとラジオにより知りました。
その後の3月、同山に入りました。雪ばかり全く視界のない山でした。

時を同じくして朝一番の列車に乗り上野をたち会津若松から蒸気機関車にて会津大塩に着きました。
一日がかりでした。雑誌に温泉と天然の炭酸水があるとあったからです。

当院に出入りする医療機器店の社長と車にて、南会津、奥会津をめぐりました。
この《季の郷 湯ら里》の前を通りました。建設中でした。
日本経済新聞一面左側に『こんな施設を造ってやっていけるのか』という否定的な記事があったことを覚えています。冠婚葬祭、同窓会と中型バスを使って集客していたことを思い出します。
今も潰れずに営業しています。

昭和村という、どんづまりの村落も数回行きました。
只見といえば電源開発のダムですが、それより先に《河井継之助記念館》です。
越後長岡藩の家老として《戊辰戦争》に加わり、西軍に破れ山越えし、只見にたどり着き亡くなりました。
数年前の豪雨により複数の橋梁が流失し只見線は不通になっていますが、来年夏に開通すると聞きます。
浦佐~小出~只見~会津若松への急行が走るでしょう。
どのくらいの集客がありますか。
会津側には組さないという勢力が現在も存在していても不思議ではありません。
喜多方の高校の進路指導の先生が当院を訪ねてくれ湯倉温泉《鶴亀荘》をすすめてくれました。
運転の彼と2人と、何年か前の正月家族と行ったので、2回泊ったことになります。

極めてワイルドな宿だという感想を持ちました。
20年以上前の夏の暑い夜、森戸の民宿軽井沢に宿泊しました。
2階のやまざくらの間に入ってきた冷風が忘れられません。
おかみが60歳から宿をはじめたと聞きます。
夫婦そろって世話になりました。
中学生時、沓掛、中軽井沢の青果店の青年が野菜を山荘まで配達してくれました。
その当時の地元の人が持っていた信州人特有の正直さ律儀さと全く変わらない感覚を二人は持ち合わせていて感動しました。
さらに上高地のケショウヤナギと同じあるいは近い種の柳が只見に存在すると聞いたことがあります。

また、ある大学の施設が只見にあり、皇太子が訪問し、その後撤退したと記憶していますがパソコンには出てきません。そしてITに特化した大学を会津若松に造ってしまったのです。

私の思考は山つながりです。
軽井沢にも同じ考え方を続けています。

~【久しぶりの只見】~
今月はまた休日の変更がありました。
令和3年8月9日(月・振替休日)
9:34 リバティ会津 春日部発。
天気は雨、春日部ではびっくりするほどの大雨。乗客は半分くらいでした。

12:19 会津田島 着。
《季の郷 湯ら里》の送迎車が来ていました。乗客は私ひとり。
だいくらスキー場、駒止トンネルを過ぎ下ると山口に着きます。
右に曲がり伊南川沿いの道を進むといくつか集落があります。人は見あたりません。
『トマトあります』という札が置いてあるものの商品はありません。
川の流れは濁っていて鮎は釣れないでしょう。

午後 1:00ごろ到着。
館内のレストラン《ゆきんこ》にて昼食。
生ビールは中と小の間のジョッキ1杯、漬物盛り合せとざるそば。味はまあまあでした。

さっそく《むら湯》へ。
やや熱い湯であることは知っていますが、今日は特に熱く感じました。
鉄の臭いのする少々色のついた湯です。
3回ほど全身首まで浸かりましたが、出てもっぱら足湯でした。
網戸から入ってくる風が心地いい。
天気は晴れて太陽が照りつけていました。
宿のホールのリビングにある、しっかりした椅子に座り新聞に目を通していると、いつの間にか眠っていました。

午後 6:00夕食。同じレストランへ。
生ビール2杯、馬刺し、豚のしゃぶしゃぶ、お平、岩魚塩焼き、こづゆ、野菜天ぷらと以前よりすっきりした献立でした。
只見の郷土料理の《お平》はおいしい。
この前来たとき『料理は減らしていいからお平2杯にしていただけますか。』と尋ねたことを覚えてくれていたのでしょう、今回も2杯出してくれました。

川魚の鮠(はや)により出汁をとり、舞茸、ニンジン、山いも、ごぼう、こんぶが入っています。
固形物が食べられなくなっても、この汁をいただければもう十分です。
何年か前の年末に来たとき、《むら湯》の入口に魚がつるしてありました。
聞くと《鮠・ハヤ》、お平に使うと教えてもらいました。

津波による福島原子力発電所の事故の放射線汚染が心配だとも聞きました。
今は全く問題ないということです。

令和3年8月10日(火)
午前6:00入浴。
入浴場が大小2つあり、男女日替りになっています。
気に入っている野天風呂がともに故障していて入れません。
無色透明な湯。《むら湯》を濾過しているのでしょう。
女子供は色のついた湯は嫌うのではないかと考えますが、源泉かけ流しにすると維持管理が大変だと支配人が話してくれました。
4代目の支配人です。
初代は知りませんが、2代、3代は承知しています。

午前7:00朝食。レストランへ。
料理は弁当になっていて、ごはん、みそ汁、なっとうを受け取りました。
そしてうれしいことに、生トマトジュースがありました。
コップ6杯もいただいてしまいました。
電話にて問い合わせた時には、まだないという返事でした。
今日がはじめてだといっていました。

午前9:30 送迎車到着。
天気は曇り。客は私ともう一組、としのいった夫婦でした。
会津田島駅の売店にて小粒のトマトが多数入った1袋150円を買いました。
『《南郷トマト》です』と店員に言われました。

10:41 リバティ会津田島発。13:41 春日部着。午後2:00過ぎ帰れました。
着いて間もなく電話が鳴りました。
外国人の診療を受付てくれるかという都内にある半ば公的な組織からのものでした。
『可』と答えると続けて本人から連絡があり、明日受診するといいます。
どこにも寄らず真っ直ぐ帰ってきた甲斐がありました。
新型コロナウィルス感染によるのでしょう。例年のお盆の様子ではありません。
数ある医療機関の中から当院を選んでくれたのも我が院のホームページに依るところ大と考えました。

~【映画撮影再び】~
令和3年8月15日(日)
午前9:00前回の撮影の一団が来ました。今日も雨。
1階の廊下を分娩室の前と見立て、仕事を進めていました。

自室においてテレビを見ているとノックの音がしました。
仲間うちから外国人女性の名にて呼ばれている監督夫人でした。
『診察してもらいたいという人が来ています。』と言います。

『日曜やっているので来ました』とその人は言っていました。
職員の強い希望により本日は休診にし、さらに女性職員がいないので診られないと断りました。
しかしその夫人に聞くと立ち合ってもらえるといいます。
撮影がひと段落する午後3:00に来院してもらいたいと伝えました。

午後2:30診察できました。
きわめて自然に対応してくれました。
若い女性5人ほどいる前で、思わず『今すぐでも看護師役ができますね』と言っていました。
頭もいいのでしょう、同様の場をかつて踏んだことがあるのでしょうと考えました。

夕方5:00雨の中、前と同じシーン、おとなしい妊婦がたおれこみ看護師がペットボトルを差し出すと強くはねのけました。
大きな音がしてびっくりしました。そして監督の『カット』というかけ声がかかり終りました。

午後6:00過ぎすべてを片づけ帰っていきました。
もう1ヶ所小さな公園にて撮影があるといいます。

 

【参考サイト】
守門岳(もんすだけ)

会津朝日岳

吉田茂首相

季の郷 湯ら里

河井継之助記念館

戊辰戦争

湯倉温泉《鶴亀荘》

館内レストラン《ゆきんこ》

深澤温泉《むら湯》

郷土料理《お平》

南郷トマト

 

令和3年8月31日(火)記
川間太田産婦人科医院
院長 太田 八千穂

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