令和2年5月、野田・関宿(せきやど)地区は千葉県の軽井沢
昭和31年4月、東京開成中学校に入学しました。
その2-3年前、東京足立区日光街道、国道4号線千住新橋北詰近くの荒川放水路河川敷の水たまりの中、かに、えび、どじょう、おたまじゃくし、アメリカザリガニ...を追いかけまわしていました。
おたまじゃくしがいたとしたら春でしょう。
陽気の良い日でした。
昭和53年でしたか、数社の全国紙に東武野田線川間駅南の春日町住宅を大手建設設会社による一面広告が掲載されました。
父の病院に出入りする乳業会社の営業所が松戸にあり、そこから現地まで車を出してくれました。
流山街道を行き清水公園を左に入り、右に曲がると野球場があり、そのまま進み右に入りました。夏草がおおう道は狭くなっていて車体を大きくこする程でした。
しばらく進むと忽然と区画整理された住宅地に出ました。
『なんだこれは』と思うほど大規模なものであり驚きました。
地下鉄綾瀬駅から車庫に入る引き込み線(現在は北綾瀬駅があります)を真っ直ぐ延長すると当地に達すると直感しました。
その建売の事務所には〈第1期即日完売〉とあり、近々2期販売と表示されていました。
家族を連れて改めて来てみると、かみさんも気に入ってくれて取得の手続きをとりました。
場所は駅により近い岩名1丁目東武鉄道の物件でした。
年が明けた昭和54年に引越してきました。
春先、私の子供たちがやはり引越してきた子らと仲良くなり、江戸川河川敷に出かけ、バケツ一杯のアメリカザリガニを採ってきました。
次の年には数匹しか取れませんでした。
人口が増えればこれほど極端に採れなくなることを知りました。
自然を壊すことはいとも簡単なことだと自覚しました。
また夏には懐中電灯を持って近くの雑木林にカブトムシを採りに出かけましたが、一匹もとれませんでした。
それから数年して同じ河川敷において町内会の《いも煮会》がありました。
今でこそ秋になるとクレーンを使い食材を巨大鍋に運ぶ《いも煮会》がニュースとしてテレビに映し出されますが、当時の私にははじめての経験でした。
里いも、ねぎ、肉、しょう油...山形に多いようです。
そこに集まった男女は、戸主が昭和20年をはさんで3年ほどの生まれと思われます。
まだ寒さを感じない河原の昼下り、いい風が頬をなで淡い連体感のようなものを抱かせられる日でした。
昭和60年2月1日、岩名2丁目に新規開業しました。
1-2年何をやっているのか判らない気分の日々が続きました。
ある初夏、3階の院長室の窓から500メートルほど先の林の木のてっぺんに鳥が止まっていて、あの爽やかな鳴き声が聞こえてきました。《郭公》でした。
テレビの映像に他の鳥の巣の卵をどけて自分の卵を産みつけ、他の鳥に抱卵させて雛を育てさせる鳥がいる~托卵という説明をしていました。そのずるい鳥が郭公です。あんな声をしてひどい鳥です。
その頃、何とはなしに『野田、関宿(せきやど)地区は千葉県の軽井沢』という発言が聞こえて来ました。その通りだと感じました。田畑ではなく山を削って作った住宅地であるためか落ち着いた感じがします。
都内のマンションに住んでいたのでは、このような経験は決してできなかったでしょう。子供の教育上、受験には相当不利だと思います。
しかし、長い眼でみれば良い選択だったと思います。
幼少期、場所は異なるものの、子供たちにも私と同じ体験をさせる事ができたのですから。
かなり以前、午前11:00過ぎのNHKテレビ〈1都6県〉に《関宿(せきやど)》がとり上げられていました。
江戸城に登用される前、その力量が試されるのが関宿であり、出世城と言われたという内容でした。
徳川家康が江戸を造成するにあたり治水に力を入れたと聞きます。
関宿において堀削工事が進められ利根川から江戸川に水を引いたということです。
その名残でしょうか埼玉側に《西宝珠花》、千葉側に《東宝珠花》という地名が残っています。
またある民放のテレビ番組に〈東京に近い田舎〉として関宿がありました。
『○○の関宿、情(なさけ)の境』というフレーズが頭に残っています。○○が思い出せません。恐らく裃を着て政治をとり行うのが関宿であり、利根川の対岸の茨城境は寛ぐ場所という意味であると私は解釈しています。
関宿は終戦内閣の《鈴木 貫太郎 翁》の出身地です。
《2.26事件》において襲撃されましたが生き、昭和天皇の教育係となられ、請われて首相となり、太平洋戦争を終結させた人物です。
青年将校が起こした同事件において、開成学校の草創期に活躍された《髙橋 是清大蔵大臣・日銀総裁》も撃たれ亡くなりました。
どうやら2人とも旧幕臣と思われます。
数年前の全国的な市町村合併により関宿町も野田市に合併され関宿という名が消失させられました。
『歴史は繰り返す』という話を聞きますが、今回のコロナ禍により、この地も変化がみられるでしょうか。
今年はまだ《郭公》の声を聞いていません。
あるいはこのまま聞こえないのかも知れません。
開成という学校に学ばなければ、このような無鉄砲なことはできなかったと思います。
【参考サイト】
■関宿町(せきやどまち)
■いも煮会
■郭公(かっこう)
■西宝珠花、東宝珠花
■2.26事件
■鈴木 貫太郎
■髙橋 是清
令和2年5月31日(日)記
川間太田産婦人科医院
院長 太田 八千穂

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