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令和2年2月、開成山岳部 中條 好司さんの〈お別れ会〉と作家 古井 由吉氏の死

新年を迎えた1月の日本経済新聞朝刊一面下の書籍の広告の中に
『世界を生き抜く力は思春期に伸びる!
男の子の〈自己肯定感〉を高める育て方
開成中学校、高等学校 校長、東京大学名誉教授 柳沢 幸雄
東大合格率数38年連続1位の開成の校長先生が、思春期のお母さんに今こそ伝えたいこと』
がありました

 

~開成山岳部 中條 好司さんの〈お別れ会〉~
令和2年2月2日(日)
午後6:00より東京中央区八重洲東京建物ビル1階《アンジェロコート東京》において開催されました。
中條さんは私の3年上、兄と同学年の昭和34年開成卒です。
2年上の髙橋 彬さんの神田中国料理《好好》にて数回お会いしていらいです。
山行を共にしたことはありません。

昭和32年卒の深山 俊夫さんの父は東京椎名町において産婦人科医院を開業しており、私の家と同業でありました。
私が中学3年の夏、北八ツ岳麦草峠において山岳部の合宿があり参加してくれていました。
その数年後、青山学院大学山岳部員として剱岳八ツ峰にて死亡しました。
中條さんは同部において一緒に行動していたと聞きます。
山で死ぬ顏というのがあると思います。

急に話は変わりますが、昭和42年新潮社の新刊 髙橋 和巳『我が心は石にあらず』を読み圧倒されました。
筆者の写真がのっていてひやりとしました。
深山さんと会ったときの印象と全く同じでした。
20代の山における事故死と30代の消化器のガンによる病死~共通するのは若年者の死です。
髙橋 和巳の理数の良く出来る頭脳、歯車の大きさ、能力の違いをしみじみ感じさせられました。
《文学者にとって子とは何か》と考えさせられました。
妻とともに不妊外来を受診する箇所がいくつかありました。

深山さんは信州大学医学部に進みたいと聞こえてきましたが、
なぜか青山学院大学に変わり、山岳部にて活躍していました。

中軽井沢(いや、沓掛という駅名だったかもしれません)を特急(いや、急行かもしれません)《白山》が通過するのを見ると、いつも彼の死を想いうかべたものです。
遺骨を乗せてきたのだろうかと。

〈お別れ会〉は100名強ほどの出席者がありました。
各テーブルに山の写真のあるカードに名前が記されていました。
病名は心筋梗塞ということでした。
よほど山が好きだったのでしょう。
写し出されるスライドはヒマラヤから日本の山まで、決っしてエキセントリックな山行ではなかったと思われます。
悲しさを感じさせない明るい爽やかな会でした。

後日、自署『登り道~鳥甲山から産婦人科へ~』(幻冬舎)を奥様に送ったところ、
心のこもった返信があり、こうゆう夫婦だったのかと改めて感じました。

会場は元富士銀行東京八重洲本店と紹介され、ひどく感心しました。
中條企画の取引銀行だったのでしょう。

もう一つ日本橋っ子、江戸っ子の心意気というものを感じました。
街を歩いているだけでは知り得ないものを教えてもらいました。
地下鉄銀座線の駅はどこでも同じように歴史があるのだという事を気付かせてくれました。

同日は私の76歳の誕生日でしたが思わぬ贈り物を頂いた気がします。
髙橋さんも最近亡くなりました。

~作家 古井 由吉氏の死~
令和2年2月28日(金)
日本経済新聞朝刊にて古井 由吉氏の死亡を知りました。
山から気持ちが文学に移ったころ読んだ作家として古井 由吉氏もその一人でした。
『円陣を組む女たち』(中央公論社)、『男たちの円居(まどい)』(講談社)共に昭和45年発行、『杳子、妻隠(つまごみ)』(河出書房新社)昭和46年発行、を新刊にて読みました。
相当山に行った人、山を知っている人だなと感じました。
金沢大学助手とありました。
「女たち」「男たち」という複数形の表現が新鮮でした。
どうして「杳」という字を使うのかとも思いました。

それっきり仕事が忙しくなり読んでいませんが、書店に並んだ新刊をいつも手に取っていました。
何年か前に同紙朝刊にエッセイが載り読みました。
獨協高校において落語家 古今亭 志ん朝と一緒だったと。そして2学期から都立日比谷高校に転校し、東京大学独文科卒という経歴です。
獨協に入学したのはよほどドイツが好きだったのだろうかと想像したりしました。
インターネットによると日比谷において作家 塩野 七生嬢と同級だったとあります。
昭和44年に医師になり『イタリアからの手紙』(新潮社)を慈恵青戸病院の当直の日読みました。
研修医であったこと、メキシコオリンピックをやっていたことなど想い出し、《世の中には頭のいい女がいるなぁ》というのが感想でした。
その後、新刊を5-6冊買いましたが読んでいません。

冒頭の広告のキャッチコピーが何となくおもしろくて切り抜いておきました。
思春期について詳しくは知りません。
柳沢校長は私の数年下の卒業であり、クラス会などの集まりの際、開成食堂においてお目にかかったことがあります。

昭和31年4月、開成中学校に入学してすぐ、対東京教育大学附属高校とのレガッタ、ボートレースの応援歌の練習と称して階段教室に集合させられ、高校2年の団長らから《バカヤロー》《コノヤロー》とどなりつけられびっくりしました。
それがなぜかおかしく、団長の属する山岳部に入部しました。
そのことが私のその後の方向を決定づけてくれたことは間違いありません。

 

 

【参考サイト】
アンジェロコート東京

髙橋 和巳『我が心は石にあらず』

『登り道~鳥甲山から産婦人科へ~』(幻冬舎)

作家 古井 由吉 氏

東京大学名誉教授 柳沢 幸雄

作家 塩野 七生 嬢
 

 

令和2年2月29日(土)記
川間太田産婦人科医院
院長 太田 八千穂

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