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令和元年10月、慈恵医大卒業50周年の会と、同大槍ヶ岳診療所開設70周年記念祝賀会に出席する

~慈恵医大卒業50周年の会に出席~
令和元年10月19日(土)東京プリンスホテル、マグノリアホール。
土曜の午後休診とし、東武鉄道〈北千住〉、東京地下鉄〈大手町〉のりかえ、東京都営地下鉄〈御成門〉下車。先頭車両の方の出口に向かう。
エスカレーター工事中のため結構歩きました。中国人と思われる家族連れと何組もすれ違いました。

プリンスホテルは昔の建物のままです。
会場に早く着き、午後5:00よりの大学の〈現況報告〉を学長 松藤 千弥先生(昭58卒)より30分聞かせていただきました。
内容がたくさんありました。慈恵のモットー『病気を診ずして病人を診よ』(*1)に話は落ち着きます。入学時に出会った顔は皆年齢を重ねたものの誰だか判ります。

懇親会に移り、白黒の写真が写しだされました。
私の顔もありました。今の自分の顔のままです。

薬理学教授になられたK君と奥様。
結婚するにあたり新橋の店にて食事し、その際、英国詩人《ウィリアム・ブレイク》の話を聞かせてもらい、ひどく上がった気持ちにさせられたことを想い出しました。すっかり白髪になられていました。

K君と特に仲が良かったO君。
ある内科教室から国立佐倉病院に行かされ、『俺知らなかった〈西の長崎、東の佐倉〉(*2)』と話してくれました。平成25年5月5日(日)心筋梗塞にて亡くなりました。

もう一人、S嬢。
専門課程から入学してきました。背も高く目鼻立ちの良い顔、クリスチャンと聞きます。東大の内科教室に入局し、糖尿病を学ばれ海上自衛隊へ、シビリアン及び制服医官として働き、60歳 自衛隊病院部長(一等海佐)にて退職され、渋谷において木金土日と開業しているという事です。
住所が軽井沢町とあるので電話したところ、親が小さな別荘を持っていたためという返事でした。

この会の幹事を小児科助教授までされ、開業したM君。
山岳部において少しの時間一緒に山に行きました。山口県出身ということもあり距離をおいていました。しかし今回、ひどく行き届いた神経の持ち主であることが判りました。

《文集》を当日手に入れ読んだところ、皆さん極めてまともであることを知りました。
以前の幹事は通り一遍なことを言っていて得るものがない、いわば〈烏合の衆〉と判断し、しばらく欠席してきました。

いつかのこの会において、父親が千葉大卒のH君、長崎大卒のM君の口から『慈恵は開業医のメッカ』(*3)という言葉を聞きました。私もそれ以前に耳にしたことがあり、これが一般的な評価なのだと感じていました。 もう一つ、千葉大卒の先生から45年ほど昔『慶應出た医者のあとにはペンペン草も生えない』(*4)と聞かされました。

この4つの文言〔※アンダーライン部(*1~4)〕をいつも考えてきました。
これからも考え続けるのだろうと感じています。

~同大槍ヶ岳山岳診療所開設70周年記念祝賀会に出席~
令和元年10月26日(土)午後5:00 高木会館地下1階南講堂、カフェテリア《リーベ》。
前回と同様、午後休診とし同じ経路をたどり慈恵医大へ。

学長、理事長 栗原 敏先生(昭46卒)の挨拶のあと関係者の表彰。
槍ヶ岳観光(株)の社長は台風により出席できず、代理の長男 穂苅 賢三さんと弟さんが表彰されました。
槍ヶ岳肩(3,060m)に《山岳診療所》を昭和25年開設され、同診療所管理者 齋藤 三郎先生(昭57卒)から、表および画像を示していただきました。

昭和32年、開成中学2年の夏、表銀座(燕岳~槍ヶ岳~上高地)に行った感動は忘れられません。
その7年前に慈恵が診療所を開設したことは大変なことと考えます。
同大山の会会長 浜口 欣一先生(昭45卒)が『我が山岳部の歴史は有名文系大学山岳部と遜色ない』という説明がありましたが、ひどくうなづけるものがありました。
山岳診療所は、燕山荘・順天堂大、白馬岳・昭和大があり、ともにNHK《小さな旅》にとり上げられました。両者とも学生が主体であり、当大は医師、看護師、つまり資格者がつめているということでした。保険はきくのかと聞くと、自由診療、自費という返事でした。

懇親会に学長は始めから終了まで出席しておられました。
私はなれなれしく話しかけました。
出身校は埼玉県立川越高校、生化学教室において大阪大卒の教授の指導を受け、50歳半ばから6回診療所に行っているということでした。
物腰の柔らかい柔和な語り口から優秀な頭脳の持ち主だと感じていると同時に【山に行く心】が判っている人だなと思いました。

2年前発刊した自著『登り道~鳥甲山から産婦人科医へ~』(幻冬舎)にこの診療所に入った時のことを書いてあり、お送りしてもよろしいでしょうかと尋ねていました。

最後にもう一つ。
齋藤 三郎先生のこの診療所の記事が日本経済新聞、文化欄に掲載されました。
私も読みました。数ヶ月前のことです。

 

【参考サイト】
慈恵医大

英国詩人《ウィリアム・ブレイク》

『岳人』

NHK《小さな旅》

『登り道~鳥甲山から産婦人科医へ~』太田八千穂著(幻冬舎)
 

 

令和元年10月31日(木)記
川間太田産婦人科医院
院長 太田 八千穂

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